ご存知の通り、今日においてモンクレールは、卓越したブランドを代表する高級ブランドの一つです。優雅さと素材の品質の良さ、そして単一ブランドとしての格好良さを持ち、Monclerは瞬く間に認められました。2020年に約10億ユーロ(約1400億円)でStone Island(ストーンアイランド)を買収したことは、過去10年間でも重要なマイルストーンとなり、モダン・ラグジュアリーの世界でモンクレールが決定的な功績を残していることを表しています。しかし、これはレモ・ルッフィーニが率いるブランドのつい最近の活躍にすぎません。
ブランドの買収は、まったく予想外の方法で行われました。数か月間にわたって両当事者により極秘で行われたためです。モンクレールのプロジェクトに対するリヴェッティ社長の熱意は、フランスを拠点とするブランドの大きな野心へと変わりました。しかし、この歴史的な合意や、インテル・ミラノとPalm Angels(パームエンジェルス)とのコラボ、「Genius」プロジェクト発動以前は、実はモンクレールは業界から消えてしまうほどのリスクを背負い、低迷期を過ごしていたのです。
モンクレールの歴史
アルピニスト(アルプス登山家)のレネ・ラミロンと彼の友人アンドレ・ヴィンセントによって1952年に創立。ブランド名は、2人が頻繁に訪れたグルノーブル近辺の山間の村である、「モネスティエドクレルモン」の略語に由来しています。二人の目的は、キルティング仕様の寝袋や、裏地付きのフードがついた単一モデルのコート、そして伸縮構造と外側に専用の生地を備えたテントを作ることでした。
そしてすぐさまラミロンは、小さな山工場の労働者らを寒さから守るために考案された、作業服の上に着用できるダウンジャケットの作成に焦点を移しました。そのアイデアは、冬の気温が低い自国のニーズに深く関係していました。最初の成功は、モンクレールのマウンテンスポーツに対する情熱に魅了された、登山家ライオネル・テレ―によるコレクションでした。
1954年、キルティングジャケットやオーバーオール、手袋、そして頑丈な寝袋など、過酷な条件にも耐えられるよう設計されたコレクション「Moncler pour Lionel Terray(英語版のみ)」をリリース。
同年に、アキレ・コンパニョーニとリーノ・ラテデッリによって構成されたK2の登山を担当するイタリアの遠征隊は、モンクレールのダウンジャケットを着て歴史的な使命を果たしました。わずか2年間で、ラミロンはすでに彼の作品を伝説的なものにしていました。
1980年代に、モンクレールは登山家やスキーヤーだけに限らず、幅広い層をターゲットにするスタイルに方向転換しました。モンクレールは時代を先取りし、業界で長期的に生き残れる原則とも言えるビジネスの多様化をすでに理解していました。
「ミラノ・ダ・ベレ(直訳:ミラノが飲む)」とも呼ばれた、ミラノが世界を圧倒していたこの時代に、「パニナリ」現象が拡大し始めました。それは、高価な服を着て待ち合わせ場所としてカフェを頻繁に利用する、ミラノの上流階級の若い男性達(パニナリ)が引き起こした現象でした。
1980年代半ば、パニナリブームの最盛期に、モンクレールは世界中で約4万着を販売したと、レモ・ルッフィーニは2008年にニューヨークタイムズで語っています。しかもその中の3万着がミラノ地域で販売されました。
光沢のあるラッカー仕上げのダウンジャケットによるモンクレールの成功は、ブランドのスタイルに革命をもたらしたデザイナー シャンタル・トーマスにより引き継がれました。彼女はジッパーをボタンに置き換え、ダウンジャケットにはファーやサテン、そしてリバーシブル生地の裏地を採用しました。
そして20年間に及ぶ爆発的な拡大を見せた後、モンクレールはついに事業破産のリスク、そしてそれに伴いこの国の救世主であるレモ・ルッフィーニの参入という歴史上最も困難となった瞬間に直面しようしていました。
ルッフィーニによるモンクレールの再建
90年代がターニングポイントとなり、その影響は今でも垣間見ることができます。新たなラグジュアリーがストリートに登場し、当時はラッパーが新しい流行の中心にありました。そんな中、モンクレールはブランドを再開発することができなかったのです。その当時カジュアルな服装が強く求められ、彼らは自身のブランドに新たな視点を与えてくれる人物を必要としていました。
2003年以来、モンクレールはルッフィーニの不動の手に渡り、私たちが知る現在のブランドの形、つまり、洗練や革新、若々しさ、そして商業的傑作として議論の余地のない巨像となったのです。
「当初のアイディアは、モンクレールのルーツから始めて、その歴史とフランスの起源、そしてグルノーブルオリンピックとアルパイン制覇までの栄光の瞬間を皆さんに思い出してもらうことでした。しかしそれと同時に、なにか「グローバル」なものを作りたかったのです。私の夢は、いつか人々が日常会話でボールペンのことをBICと呼ぶように、「ダウンジャケット」のことを「モンクレール」と呼び、代名詞として表現してくれることでした。」ルッフィーニは最近のインタビュー(英語版のみ)でそう答えています。
ルッフィーニは、2013年にモンクレールは50億ドルの企業価値評価があると公表。しかしそれはモンクレールの成長の始まりに過ぎませんでした。Statistaの報告によると、売上は2013年の8億ドルから、2017年には14.3億ドルにまで増加したのです。利益はさらに好調で、1億460万ドルから2億9900万ドルに上昇しました。
ルッフィーニによって練られた起業計画は、最初の段階から明確でした。それは単一のクリエティブガイドを一切使わずに、モンクレールをインスピレーションあふれる芸術の中心にすることでした。その後、2018年にその計画は、現代最高峰のクリエイター8名、ピエールパオロ・ピッチョーリ、カール・テンプラー、サンドロ・マンドリーノ、二宮啓、藤原ヒロシ、フランチェスコ・ラガッツィが手掛けた、革新的な「Genius」プロジェクトに統合されました。モンクレールは彼らと将来に向けて新しい道のりを切り開いたのです。
ルッフィーニはファッションウィークのスケジュールから離れ、Geniusプロジェクトに力を入れ、リリースや毎月のキャンペーンから全てを始めました。ルッフィーニは、モンクレールを若者向けのデジタルを意識しブランドをオムニチャネル化させる必要性があると直感的に感じていました。ルッフィーニは市場を調査することで、コンテンツが消費される速度と、毎日新しいものを手に入れたいという人々の願望を理解しました。
これはMonclerにとって珍しい動きではありませんでした。以前はファレル・ウィリアムスや、sacai(サカイ)デザイナーの阿部千登勢、グレッグ・ローレン、ヴァージル・アブローなどとユニークなコレクションの共同制作を果たし、トム・ブラウンとモンクレールのガム・ブルーのレーベルで10年近くコラボをしていました。ルッフィーニはGeniusを通して成功しているデザイナーたちの最高作品を1つのシームレスなプロジェクトにまとめたいと考えていたのです。
ヴァレンティノのクリエイティブディレクターであるピエールパオロ・ピッチョーリにより、ダウンジャケットをランウェイ衣装に変えることに成功しました。シモーネ・ロシャのビジョンは、ビクトリア朝時代を思い起こさせる歴史的な感性と、当時のエレガントで気まぐれな女性の様子を表現したものでした。
川久保玲の愛弟子である二宮啓は、日本の伝統が「protège」を求めるように、暗く幾何学的な視点からモンクレールを見つめ直すことによって、才能を発揮。一方、Palm Angelsの創設者 フランチェスコ・ラガッツィの創造性は、現代のストリートウェアの世界にすんなり馴染む、カラフルなロゴとグラフィックで明らかでした。
Geniusの誕生はその当時絶好の機会でした。結果として、重要な個性を1つの傘下に集めることで、モンクレールはさまざまな芸術的背景から利益を得ることができましたが、真の目的はブランドに付加価値を与えることでした。
成功を収めたコレクションの1つは、確実にストリートウェアの観点からモンクレールの歴史的なアパレルを再考した、Fragment(フラグメント)の創設者である藤原ヒロシによるコレクションです。技術とアバンギャルドが融合され、さまざまな天才的なタッチでモンクレールを再スタートさせました。
2018年以来、Geniusプロジェクトはイベントや新しいデザイナー、そしてプレゼンを通して毎年進化してきました。ルッフィーニは制約に一切囚われることなく、ファッションの世界の多様なクリエーターが共存し、彼らのクリエイティビティを思い切り表現できる真のパラレル・エコシステムを作り上げました。これはまさにGeniusの革新です。個人に絶対的な自由を与える場所を設けたことで、より大きな価値をもたらしたのです。
ミラノファッションウィークの期間中、モンクレールは2020年版のGeniusに注目を集めたいと考えていました。過去の静かな年月はブランドにエネルギーを吹き込み、ブランドの可能性を証明しようと躍起になっていました。Geniusの革命の1つは、既に人々に忘れられたラインナップを再び蘇らせたことでした。Monclerの格好良さと機能性を組み合わせた、防寒に特化したアパレルを作りたいという願望から2010年に生まれた「Grenoble」が例として挙げられます。彼らが示したかったベストなステージデザインは、まさにGrenobleのためにありました。それは、全身まっ白な衣装を着たアクロバットチームがステージのセット一面を行進するというものでした。
モンクレールのショーは、360度全ての角度から楽しむことができるのが最大の魅力。実際、昨年9月にブランドは最新の革新的プロジェクトを発表しました。その名も「MONDOGENIUS」。ショーのデジタル化とゲーミフィケーションを通じて、上海、ミラノ、東京、ニューヨーク、ソウルといった世界各地の会場で発表される新しいコレクションを観客が自宅から快適に鑑賞できるようなプラットフォームを立ち上げました。今まで誰も目にしたことのないコレクションは観客の期待を上回り、23億人の観客を迎え、世界の主要なプラットフォームで2億9,900万回以上の視聴を獲得したのです。
経済的な成功に加え、世界中の文化を統合することで独自のコミュニティを作りたいという意図を持ち遂行してきたモンクレールの投資を振り返ると、将来のために学ぶものがあり、ただただ賞賛せざるを得ません。
「今日では、単なる商品としてではなく、私たちが求めるコミュニティや文化に関わるものになりました。変わり行くこの世界で、以前と同じようなことは望まれません。ブランドは多くのことを求められ、期待されてているのです。私は、クリエイティブな経験とビジョンに基づいてコミュニティを結びつけるパワーというものを心から信じています。これが、2021年のモンクレール Geniusの作成を導いた原則です」。ルッフィーニは、MONDOGENIUSに対してそう述べました。
オムニチャネルとは、世界中の企業の存続を決定するトレンドの1つです。デジタルの世界でいつでもどこでも、どのデバイスでも商品が購入できることで消費者を満足させることを熱望しています。モンクレールは、このコンセプトに実によく従っており、顧客体験をまず第一に考えています。2020年には、すべてのチャネルで顧客体験を統合することを目的として、「デジタル、エンゲージメント、トランスフォーメーション」を通じてeコマースのプラットフォームを内部化しました。これらは、現時点での彼らの成功を証明していますが、同時にまだ始まりにすぎません。
「Moncler Select」でのアリシア・キーズとのコラボは、ブランドのデジタル化においてもう一つの重要なステップとなりました。彼女は、厳選されたアパレルを通して、熱狂に溢れる素晴らしいニューヨークの街での日常生活の瞬間を表現します。「A Day in NYC」を通じて、ユーザーは実際にニューヨーク街の中にいるような感覚を楽しみながら、アーティストの新しいアルバム曲をBGMに、彼女が個人的に選んだ服やアクセサリーを購入することができます。
最後に、モンクレールはGeniusプロジェクトの提供範囲を拡大することでG-Shockとコラボを果たし、その後3年間インテル・ミラノの公式フォーマルウェアのパートナーに就任。間違いなく、ラグジュアリーブランド市場での主導権を握り、これから華やかな未来を迎えようとしています。