Editorial - December 9, 2021

That's 5 | Brooklyn Terry

世界的トップスターのバックダンサーを務めたニューヨーク出身のダンサーBrooklyn Terry (ブルックリン・テリー)が語る、彼が見たダンス、ストリートカルチャーとは。

世界的トップスターのバックダンサーを務めたニューヨーク出身のダンサーBrooklyn Terry (ブルックリン・テリー)が語る、彼が見たダンス、ストリートカルチャーとは。

This article is part 75 of 83 in the series: That's 5

様々なカルチャーの中で、話題のアーティストやインフルエンサーたちの魅力に迫る「 That’s 5 」シリーズ。今回は、世界で活躍するダンサーBrooklyn Terry (ブルックリン・テリー)に問いかける。

  • まずは自己紹介をお願いします。

僕の名前は、Brooklyn Terry (ブルックリンテリー)といいます。これはステージネームといったらいいのかな。本名はテリーです。ブルックリン(NY)出身なので、この名前で呼んでいます。

  • テリーさんのキャリアについて教えてください。

職業は、ダンサーで DJです。また、 パーティーもオーガナイズするのでイベントコーディネーターでもあります。(テリーさんのオーガナイズするパーティー:Speakeasy TYO)ダンスの講師でもあります。ダンススタジオも運営していますし、コロナ前は世界中を飛び回ってレッスンをし、僕のクルー、Elite Force / Mop Top(エリートフォース / モップトップ)とともにダンスを教えていました。要は、カルチャーの中で皆がよく知る人物の一人といったところでしょうか。それが、僕のことを一番上手く表現しているかもしれません。

  • いつから日本に住むことになりましたか?また、そのきっかけは?

1996年から、日本へは何度も訪れていました。その後、2006に奥さんとなる女性と日本に移ってきました。現在は結婚をし、子供も2人いて、日本を“ホーム”と呼ぶことになってしまうかもしれませんが、僕の“ホーム”はいつだってニューヨークです。それは今もこれからもずっと変わりません。どんなことがあっても、NYがこの世界で一番の街だと思っています。

  • ダンスを始めたきっかけは?

黒人やラテン系人種の人なら共感する人は多いでしょうが、「どの時点からダンスを始めたか」といった質問にはどう答えていいかはっきりしません。

なぜかというと、僕たちのカルチャーではダンスはごく日常にある当たり前のことだからです。僕が生まれて、記憶というものを辿ると一番最初のものから、音楽とダンスはすでに存在しています。僕にとっては、母親がキッチンで料理をしながら踊ることも、家でパーティーがあって皆んなが踊っていることも、クラブでダンスしていることも、ストリートでダンボールを敷いてヘッドスピンしている人達を見ることも、日本に来てダンスしている人たちを見ることも、全ては僕の人生では特別な感じもないし、境界線のような切り替えもありません。ダンスは、生まれた時から常に生活の中にあるごく自然なことなんです。

でも、もしプロのダンサーとして活動し始めたのはいつなのか、ということになると、1993年の終わりから1994年の始めにかけてとなります。プロになる前であっても、もちろんNYのクラブでいつも踊っていました。

  • 自身のダンススタイルについても教えください。

Hip Hop (ヒップホップ)です。ただ、House (ハウス)のダンサーとして僕のことを知っている人は沢山いますので説明しておくと、僕のプロとしてのダンサーの原点はヒップホップにあります。ハウスダンスにとっても、創成期の当時から今も、ヒップホップをハウスダンス音楽に合わせて踊ったものといってもかけ離れていないと言えるほど、そのダンススタイルにに大きな影響が見られますし、僕のプロとしてのダンサーの原点を考えても、ヒップホップ以外のジャンルを踊る時の僕のスタイルを考えても、僕のダンススタイルをカテゴリーで分けるとしたら、「ヒップホップ」でしょう。

  • プロになったきっかけはありますか?

Sekou (セクー:Dance Fusionというハウスダンスの伝説的クルーの1人)がニュージャージー州であったプロモーションビデオの撮影に呼んでくれたのが、ダンサーとして始めてお給料をもらいました。これがプロとしての第一歩というところでしょうか。

  • ダンサーとしてのキャリアの中で、一番のターニングポイントとなったのは何ですか?

マライア・キャリーのバックダンサーを始めたことですね。アップステートで(NY州の北地域で地元の人たちはUpstate=アップステートと呼ぶ)行われた「Fantasy」の撮影に参加したところから、僕のダンスキャリアは大きく動き始めました。その後、マライヤのツアーダンサーを約14年ほど務めました。マディソン・スクエアガーデンでのマライヤ・キャリーのコンサートのバックステージに母親を招き入れた時、家族は本当に誇りに思ってくれましたよ。

  • テリーさんが最も影響を受けた人はいますか?

二人います。
まずは、Buddha Stretch (ブッダストレッチ:Elite Force / Mop Topの伝説的ダンサー)。ダンスキャリアやコレオグラフィーなど, ダンス人生でもっとも大きな影響を受けた一人です。

もう一人は、Voodoo Ray (ブードゥーレイ:Elite Force / Mop Topの伝説的ダンサー。NYのクラブ界やストリートダンス界に多大なる影響を与えたNYクラブカルチャーの最重要人物の1人。2017年に他界) 。イベントのオーガナイズやビジネスなマインドなど、プロモーターやイベントオーガナイザーとしてのノウハウを学びました。

  • もしダンスの道に進んでいたかったら、どんな人生だったと思いますか?

想像できません。もしダンスがなかったら、悪い道に進んでしまっていたかもしれません。キャリアを始めた当時のNYはそんな時代でしたし。ダンスが僕の人生を悪い誘惑や方向へ逸れるのを守ってくれたと思います。

  • 今後の目標や次のゴールはありますか?

今、ストリートダンスをスポーツの世界にも広めていきたいと考えています。2024年のパリで開かれるオリンピックには、ブレイクダンスも新競技として採用されますし、僕たちがずっと伝えてきたヒップホップを始めるストリートダンスもスポーツの世界にも広がっていけるよう、さらに活動していこうと思います。

 

Interviewed by 壺阪 英莉子