スニーカーが東京のストリートカルチャーに無視できない影響力を行使し始めたのは、90年代になって以降のことだろう。NBAブームを背景にエアジョーダンが人気を博し、70~80年代のヴィンテージスニーカーに対する評価も高まりつつあった。ただ、最も象徴的な出来事を一つ挙げるとすれば、ナイキエアマックス95の登場ということになる。フォール95の看板モデルとして発売された直後は、販売店の前に行列したり転売されたりといった現象も見られず、静かに始まったブームだったが、シーズンを重ねる毎にエアマックス狩りやフェイク商品の流通等、スニーカーが社会問題にまで発展した最初の一足に。ここから東京のスニーカーカルチャーが産声を上げたと言っても過言ではない。
……それから四半世紀を経た今、改めて東京のスニーカー市場を見渡すと、その眺めが随分と様変わりしているのに気付かされる。インターネットが未成熟だった90年代と現代を比べることに無理があるのは当然だが、例えばスニーカーコレクターに絞って見ても、当時とはそのスケールや情報量に隔世の感があるのは否めない。これは単に「昔が良くて今が駄目」といった懐古主義からの見解でなく、スニーカーの定義自体が時代と共に変容し、今やスニーカーをカジュアルなファッションを楽しむ為のフットウェアだと認識しているお人好しなど皆無だろうという話。
それほど大きな進化を遂げたスニーカーの軌跡を踏まえた上で、「東京のストリートカルチャーに最も影響を与えた歴代のスニーカー」というテーマで10傑を選定した。ヴィンテージスニーカーが市場の中心を担っていた80年代を経て、東京のストリートカルチャーにスニーカーシーンが芽吹き始めた90年代以降、スニーカーファンの物欲を激しく揺さぶり、マーケットを大混乱に陥れたモデルとはーー独断と偏見に満ちた個人的な視点でベスト10を年式順に発表し、東京のスニーカーカルチャーにどんな爪痕を残してきたかについてコメントする。
NIKE AIR JORDAN 5
1990年
前作より人気沸騰の兆しを見せ始めたエアジョーダンシリーズにおいて、東京のマーケットで明確なブレイクを遂げたのは第5世代以降だ。レトロな戦闘機をモチーフに開発されたエアジョーダン5は、同年リリースのエアマックス180でも活躍したトランスルーセントのアウトソールを採用。その洗練されたマテリアルとマイケル・ジョーダンの背番号が刺繍されたナンバリングモデルの登場といった話題にも事欠かず、世界的な人気を不動のものにしたシリーズ屈指のエポックメイキングだろう。本国アメリカではこのモデルを巡り殺人事件が発生する等、社会的な関心事としてスニーカー市場に注目が集まった。
NIKE AIR MAX 91
1991年
ナイキエアマックスが日本のストリートで初めて注目を浴びたのがこの91年型。のちにAIR CLASSIC BWという名義に改称されるが、継続的にリリースされた多彩なカラーバリエーションは、特にヒップホップやラップカルチャーとの親和性が高かった。エアマックス誕生以来、徐々に搭載するエアバッグの容量を巨大化してきたシリーズだが、このモデルを最後に180エアや270°ビジブルエアなどバッグ自体の形状を大きく進化させていく。またESCAPEシリーズなどリミテッドエディションの存在も当時のスニーカーファンを熱狂させた一因に。日本のストリートがナイキのテクノロジーに向き合う契機となった記念すべき一足。
NIKE AIR MAX 95
1995年
世界に先駆け、東京のマーケットでブレイクの狼煙が上がり、ハイテクスニーカーの巨大なムーブメントに発展したエアマックス95の登場は、スニーカーシーンにおける20世紀最大の事件だろう。ナイキの若手デザイナー、セルジオ・ロザーノによる人体の骨格や筋肉組織をモチーフにしたデザインがセンセーショナルな支持を得て、特にファーストカラーのネオンイエローは歴代エアマックスの常識を覆す画期的な配色で人気を博した。ナイキのマックスエア、リーボックのポンプシステム、プーマのディスクシステムといったスニーカーシーンが一体となり隆盛を誇った90年代ストリートカルチャーの象徴。東京のスニーカーシーンが育てたと言っても過言でない、ナイキ屈指のエポックメイキング。
NIKE DUNK HIGH / LOW TOKYO CITY ATTACK
1999年
NCAAトーナメントの強豪校にスクールカラーのチームモデルを提供したダンクの起源は1985年。その後、廃盤になって以降、日本では主にヴィンテージスニーカーとして珍重されてきたが、1999年に待望の復刻を遂げる。ダンク復刻の原動力となった日本市場では、東京シティアタックの名義でアッパーの配色を反転した通称”裏ダンク”が限定発売される。カレッジカラープログラムを彷彿させる多彩な2トーンカラーのバリエーションが人気を博したのは言う迄もなく、その前後にリリースされたダンクロープロやatmos別注モデルなど、日本市場に向けたダンクの戦略的な展開は、今や世界のスニーカーファンが注目するプレミアの源泉である。
NIKE HTM AIR WOVEN
2000年
ナイキが新たなテクノロジーの実験場として整備した1999年始動のアルファプロジェクトより翌年に発売されたエアウーブンは、21世紀に相応しいサスティナブルな世界観を有するコンセプトモデルだった。ヒモ状のマテリアルを編み上げたアッパーが生産過程で排出される端材を最小限に抑え、環境への取り組みを表明した画期的なテクノロジーとして注目。ストリートにおいてはファーストカラーのインパクトもさることながら藤原ヒロシの考案によるマルチカラーのエアウーブンが圧倒的な支持を得た。同時期にリリースされたエアプレストのアパレル式サイズレンジ共々、アルファプロジェクトの先進性が証明された。
NIKE HTM AIR FORCE 1 LOW
2001年
ナイキ最高幹部のマーク・パーカーとティンカー・ハットフィールド、FRAGMENTの藤原ヒロシによるスペシャルプロジェクト「HTM」より発売された特別仕様のエアフォース1ロー。上質なカーフレザーやクロコダイルのエンボスレザーをアッパーに使用する他、アイボリーを基調とした配色やビッグメゾンの鞄作りを彷彿させるステッチワーク等、高級感溢れるデザインは唯一無二の存在。そのこだわりはパッケージにも及び、引き出し式のシューズボックスがスペシャルエディションに相応しいプレミア感を演出した。
NIKE DUNK LOW PRO SB TOKYO
2003年
ナイキスケートボーディングの発足と共にラインナップされたダンクプロSBは、その第1世代でチームライダーのシグネチャーモデルを展開し、次いでSUPREME別注の登場により世界中のマーケットを席巻した。翌年、東京・表参道で開催されたエキシビジョン「WHITE DUNK」では国内外のアーティストが創作したダンク関連作品を展示する他、これを記念したダンクプロSBもお披露目に。ニューヨーク、パリ、ロンドンと共にシリーズ展開された東京モデルは、アートキャンバスに見立てた生成りのアッパーが東京のストリートカルチャーの無限の可能性を表現したもの。シリアルナンバー入りの約200足限定という稀少性から現在も際限のないプレミア現象に見舞われている。
NIKE AIR JORDAN 1 HIGH RETRO OG FRAGMENT
2017年
ブレッドやシカゴなどオリジナルを踏襲した新作が発売される度にセカンドマーケットを賑わせてきたエアジョーダン1レトロだが、ロイヤルブルーを基調に有りそうで無かった好配色を提案したのが藤原ヒロシ主宰のFRAGMENT共同製作モデルだった。永久定番のシカゴを彷彿させるカラーバランスと洗練されたカラーパレットに加え、ヒールサイドに刻印されたサンダーボルトがその価値を最大化。リリース時の争奪戦が熾烈を極めたのは言う迄もなく、日本のみならずワールドワイドで支持されるFRAGMENTによるブランディングがその圧倒的な人気を押し上げた。
NIKE SACAI LD WAFFLE
2019年
これまでコムデギャルソンやアンダーカバーなどアパレルブランドとの協業にも積極的に取り組んできたナイキが2015年より新たなパートナーとして迎えたのがSACAIである。ナイキのアイコニックなエアマックス90及びダンクをミニマルなシューレースレス仕様にアレンジした前作から一転、2019年に発表されたLDワッフル及びブレイザーは過剰なレイヤーをギミックに前衛的なフットウェアを召喚した。特に板状のEVAソールやスウッシュやシュータンが重複するLDワッフルのフォルムは、合理性とは真逆のファンタジーの領域に踏み込んだ革新的なカスタムワークだ。もはやランニングシューズの常識を逸脱しているのは勿論、スニーカーの概念すらも崩壊しかねないクリエイティビティの極北。日本を代表するアパレルブランドが手掛けた新時代のフットウェアは、東京のスニーカーカルチャーに計り知れない衝撃を与えた。
NIKE DUNK HIGH PRO SB FPAR
2019年
東京を代表するブランドディレクターの一人、西山徹がそのキャリアをスタートしたFORTY PERCENT AGAINST RIGHTSをパートナーに迎え、ナイキスケートボーディングと共同製作したFPAR版のダンクSB。歴代エアジョーダンのディテールを融合するアイデア際立つカスタムビルト。エアジョーダン5のメッシュパネルをスウッシュに採用し、エアジョーダン6のシュータンをエッセンスごと移植したハイブリッドなダンクハイプロSBは、ヒールのエンボスロゴに加えて、FPARロゴのヒールタブを導入する等、カスタムの限りを尽くした逸材だ。都市空間を意識したブラックベースの配色やスウッシュ及びシュータン裏に綴られたメッセージにもブランディングを忍ばせたリアルなコラボレーションと言えるだろう。
次点
NIKE THE TEN AIR JORDAN 1 HIGH
2018年
OFF-WHITEを主宰するヴァージル・アブローが手掛けたナイキのスペシャルイシュー、THE TENのファーストエディションとして登場したエアジョーダン1のハイトップ。パーツごとに解体したエアジョーダンの断片をデフォルメしつつ組み立て直したカスタムデザインの極北。その脱構築的なフォルムが物語る既成概念からの逸脱ぶりは、コラボレーションの常識を覆し、あらゆる束縛からの解放を表明した。これを皮切りにズームフライ、エアマックス90、エアフォース1といったナイキを代表する定番モデルのカスタムを次々と手掛け、その尽きることのないクリエイティビティを存分に発揮しながら、現在に至る。