ジョーダン

スニーカー - 7 / 27, 2020

「禁じられた(Banned)」ジョーダンとは

Banned Jordans, what are they?

カルチャーとは、組織としての記憶、言い伝えや伝説によって築き上げられていくものですが、それはスニーカー文化も変わりません。ビル・バウワーマンがナイキで最初のワッフルソールを生み出した逸話や、カニエ・ウェストがアディダスと手を組んだ後にナイキが最後のエアイージーを発売した経緯、そしてエアジョーダンがNBAに禁止されてしまったエピソード。ところが、禁じられたジョーダンの話は、それほど明らかになっていません。そこで、今回は「禁じられたジョーダンとは何か」という複雑な問題をひも解いていきます。

簡単に言うと、禁じられたジョーダンとは、ナイキの俗説から生まれたものです。マイケル・ジョーダンが新人王に輝いた1年目、NBAのユニフォーム規定に違反してジョーダン1を着用していた彼は、出場するたびに即、罰金を課されていました。ジョーダン選手とシューズに信用を置いていたナイキは、エアジョーダンを試合で履き続けられるよう、多額の罰金を払うことを選びました。スニーカーカルチャーにおいて、この反骨精神はナイキのブランドストーリーの中心に置かれ、熱狂を引き起こし、史上最も成功した提携が生まれます。ナイキはこれを下敷きに、非常にすぐれた広告まで制作しました。

以上が30年以上にわたって語り継がれたストーリーですが、これは事実ではありません。

真相はもう少し不透明で、驚くほど単純です。


「禁じられたジョーダン」の真相

 

マイケル・ジョーダンがNBA出場時に、カラフルなスニーカーを着用していたことについて、警告を受けたのは事実です。黒赤のジョーダン1が、ユニフォーム規定違反だったことも確かです。ところが、警告を受けたシューズは、ジョーダンとはまったく別物でした。当時、エアジョーダンはまだ開発中で、ナイキとジョーダン選手が選んだのは、見た目の似た Air Ship(エアシップ)でした。ここ1年で、ナイキが真実を明らかにして New Beginnings Pack(ニュービギニングス パック)で復活させるまで、エアシップは人々の認識から消えかかっていました。ですが、ジョーダンが初年度に一度でも、エアジョーダン1で出場した形跡はありません。

 

 

ジョーダン選手がデビューシーズン中にエアジョーダン1を着用している写真はありますが、試合中にコートで履いているものは存在しません。NBAオールスターのダンクコンテストや、撮影や非公式試合用に着用していただけで、シーズン試合で履くことはありませんでした。続く1985ー186年シーズンでジョーダン1を着用している写真も何枚かありますが、3試合目で足を骨折してしまったため、このシーズンはほとんど出場していません。そして、この逸話が間違っているのはそれだけではなく、ナイキは一度としてNBAに違約金を払ったことはないのです。

NBAからの通知書には、バイスプレジデントのラス・グラニックの署名があり、確かに罰金の警告と取れますが、NBAとナイキのいずれにも、実際に罰金の支払いが要求、または支払われたことを示すものはありませんでした。いたるところで「1試合5000ドル」という供述が見られますが、この騒ぎの唯一の根拠は罰金が科される可能性をほのめかした通知書のみで、それっきりなのです。

Banned Jordans letter from NBA to Nike

マイケル・ジョーダンのスニーカーに関するNBA幹部ラス・グラニックからナイキへの通知書

つまり歴史的に正しくは、禁じられたジョーダンなど広告や物語のなかの話で、どこにも存在しないことになります。しかし、私たちは実態ははるかに複雑だったと考えています。


「禁じられた」その影響力


マイケル・ジョーダンが、自身のスニーカーブランドを立ち上げるためにナイキと契約したことで、新たな地平が切り開かれました。ジョーダンはその後、何世代にもわたって驚異的な成功と名声を欲しいままにし、ナイキとともに売上を手にしただけでなく、ナイキのようなブランドが若い黒人男性にそこまで大きく賭けたのは初めてだったためです。もちろん当時のナイキは、今日ほど知られていませんでしたが、両者の成功はこの基盤となる関係から生まれたもので、マイケル・ジョーダンがこれほど成功していなければ、ナイキも多くを失っていたでしょう。両者の関係は、立派な投資だったのです。

シューズの問題ではなかったにせよ、禁じられたジョーダンの誤った逸話を通じて培われた反骨精神は本物でした。それは何世代にもわたって軽んじられていたファン層に、これまでないも同然だった成功への道筋を示してくれる、尊敬すべき対象を与えてくれました。ジョーダンがシュートを決めるたびに、黒人が優秀で社会の一員として白人のビジネスマンに引けを取らないことが裏づけられ、人種差別の歴史を持つ国において、本物の平等が築ける余地があることを示してくれました。そうして、ジョーダンの逸話に込められたメッセージは、巧妙なマーケティングストーリーなどより、広く深い共感を呼ぶこととなりました。

スニーカーに関しては、「Banned(禁じられた)」の語は、今では単なる色の名称になっています。現在「Banned Jordan(禁じられたジョーダン)」として広く知られるスニーカーは、ブレッドと呼ばれる黒赤のジョーダン1シリーズです。バージョンによっては「禁じられた」ことを示す「X」がついていますが、シャッタードバックボードロイヤルと同様に、その呼び名にはそれぞれ特別な意味が込められています。実際の出来事そのものに関してというより、その上に築かれた伝説やカルチャーのそもそもの下敷きとなった信じがたいエピソードに基づいています。スニーカーカルチャーの大部分は、伝聞や噂や予想から成り立っています。「禁じられた」物語はほんの手始めにすぎず、その後に続くものと同じく究極的には何よりもストーリーの問題、メッセージ性なのです。クローゼットにしまわれたシューズはどれも、そのレザーやステッチ、EVAソールそのものではなく、それが意味するところを思い起こさせてくれます。そこには歴史のかけらを集めたり、よりよい未来の手本にもなる、それぞれのスニーカーファンのために用意された壮大な物語があります。